Park College #17

哲GAKU 第10回「中西メソッド×中村憲剛」(前編)

Park Collegeでは、連続講座「中西哲生の哲GAKU」をオンラインで開催しています (毎月14日開催、全12回予定、無料)。

第10回目は、元サッカー日本代表の中村憲剛氏をゲストに迎えて、実施されました。川崎フロンターレ選手時代にともに背負っていた背番号「14」についてのエピソードや、2017年リーグ優勝の当時の思い、中村自身も体感した中西メソッドの体験談など、他では聞くことができない、貴重なトークが展開されました。

サッカーやスポーツの技術を向上させたい方も、スポーツにはあまり縁がない方、指導する立場の方も、さまざまな分野の知見をスポーツ技術に応用しコーチする中西哲生の視点から、ぜひ自身の学びや気づきに繋げ、楽しんでいただければと思います。

「僕が最初に14番を着けていたんですけど、中村憲剛さんが着けてくれたおかげでいい番号になった」(中西)

2人のトーク中場面

中西哲生(以下、中西):みなさん、こんばんは。第10回『哲GAKU』へようこそ。今回のゲストは待望と言いますか、ついにこの方が登場してくれます。中村憲剛さんです。

中村憲剛(以下、中村):よろしくお願いします。

中西:改めて中村憲剛さんのプロフィールをご紹介したいと思います。川崎フロンターレひと筋18年!ということで、昨シーズン限りで現役を引退して、現在は育成年代の指導、解説もやっていらっしゃいますし、川崎フロンターレではリレーションズオーガナイザー、FROと。これはご本人が決めた肩書ですか?

中村:はい、考えました。

中西:すごくキャッチーなネーミングです。

中村:ありきたりなヤツは嫌だったなというのがひとつと、あとはフロンターレが面白くないといけないクラブでもあるので、頭文字を取ると「FRO」で「フロ」になるので、そこを先に決めて。そのあとにフロンターレリレーションズオーガナイザーと決めました。

中西:すごくピタッといい言葉でハマっていますね。

中村:はい、おかげさまでかなり浸透しています。

中西:僕はチームが創設された1997年からフロンターレに在籍しまして、関東では後発クラブで、しかも横にはヴェルディ川崎(注:名称は当時、以下同)と横浜マリノスがいて。当時はフロンターレがここまでくるとは、想像したかったですけれどしきれなかった部分があって。

中村:(静かに頷く)。

中西:あの頃の自分に教えてあげたいですね。将来こうなるんだよって。

中村:僕も入団したときの自分に教えたいです。

中西:入団時はJ2でしたか。

中村:J2で、お客さんもそこまで多くはなかったです。右肩上がりでお客さんの数も増えていった。それをど真ん中で見てきた人間なので、感慨深いところがあります。哲さんを含め先輩たちが、誰もこのクラブを知らないところからコツコツと築き上げてきたものを、僕らが伸ばしていったということなのでしょうから、皆さんがあってのいまだなと改めて思います。

中西:僕は4年間在籍して、J2からJ1へ初めて昇格した99年にキャプテンをやらせていただいて。中村憲剛さんとの最初の接点は、背番号26を着けていた1年目から、2年目に「14」へ切り替えるときに、僕のところへ来てくれて。

中村:行きましたね(笑)。お伺いをたてに。

中西:わざわざ、「哲さん、ちょっといいですか」って。

中村:深刻な顔をしていましたか(笑)。

中西:ええ(笑)。「14番着けていいですか」と。僕が最初に14番を着けていたんですけど、中村憲剛さんが着けてくれたおかげでいい番号になっただけで、それはホントに僕もありがたかったですし。今シーズンは空き番になりましたけど。

中村:正直びっくりしました。

中西:ですよね?僕も誰か着けるのかな、と思っていたんです。

中村:僕も強化部に聞きました。僕が辞めてすぐに着けるというのは、その選手の負担になるという配慮もあったそうで。

中西:それはありますね、たしかに。

中村:1年置いてなのかは分かりませんけれど、とりあえず今年はなしにした、と聞きました。

「2017年12月のリーグ優勝で、すべての思いが浄化された」(中村)

トーク中の中村憲剛

中西:我々からすると、フロンターレの強さを語れるようになったことが嬉しいですね。

中村:いやあ、嬉しいですね。タイトルがなかなか獲れなかったのはホントに苦しかったですし、タイトルを獲ることで強さが身に付つくというのは、すごく感じたので。色々な人たちの頑張りというか、どうやってフロンターレを強くするのかを、現役でやっている選手はもちろんフロントやOBの皆さん、サポーターやスポンサーの皆さんとも同じ方向を見て、やってきた結果かなと。

中西:中村憲剛さんから現役時代に聞いた言葉で、突き刺さっているものがあります。ずっと優勝できなくて準優勝とか2位だったときに、「こんなに準優勝が続くということは、原因は自分じゃないか」と僕に言いました。

中村:ああ、言っていましたね。

中西:そんなわけはないとすぐに否定しましたが、それぐらい優勝できないことへの責任を感じていた、と?

中村:感じざるを得ないですよね。だって、僕が最初に準優勝したのは2006年のリーグ戦だったんですけど、そこからカップ戦も含めて8回ぐらいですよ。その8回に全部いるのは自分だけなんです。そうなると、僕が、ということになるじゃないですか。周りの選手は変わっているけれど、中心でやっている自分が勝てない何かを持っている。とくにカップ戦のファイナルでは、力を出せていた実感があまりなかったので。

中西:自分の実感として?

中村:普段のリーグ戦みたいに勝ちへ持っていけなかったことに、自分のなかですごく負い目を感じていて。2017年のルヴァンカップ決勝でセレッソ大阪に負けたときに、「これはもう自分だな」と。あの日はかなり落ち込みました。

中西:その試合のあとも話したじゃないですか。リーグもまだチャンスは残っているし、最善を尽くそうと話した。そういうふうにポイントで話をさせてもらっているなかで、2017年のシーズンのJ1リーグでついに優勝するわけですが、あのときの気持ちは。

中村:今日の『哲GAKU』の1時間半では、語り尽くせないぐらいの気持ちがあります。14、15年分ですからね。それこそ、僕だけじゃなくて先輩たち、現役中に一緒にタイトルを目指したけど取れずに引退された先輩たち、哲さんもそうですし、そういう先輩たちの分もというのが自分のなかにあったので。クラブが徐々に大きくなっていく過程で色々な人が関わって、それでも獲れなくて、ピッチ外の活動がピッチ内に足を引っ張っているんじゃないの、という話をされたこともありました。僕は絶対にそんなわけはないと思っていて、ピッチ外で楽しませてナンボだ、ピッチ外でも楽しませるのがプロフェッショナルだと、フロンターレに入って教えてもらったので、それで結果を残したかったというのがあって。そういう思いがあったからこそ、8回の準優勝はすごく悔しくて、だけどあの大宮アルディージャ戦で、2017年の12月2日ですけど、あそこで優勝したときにはそういうすべての思いが、もう何ですかね……浄化って言うんですかね。

中西:いい言葉だと思います。

中村:すごく、すごい、肩の力が抜けたんです。嬉しいというか、ほっとしたんです。

中西:グラウンドに頭を擦り付けて、突っ伏したときですか。

中村:ホントに走馬灯のように色々なことが蘇ってきて、みんなが自分のところへ集まってきたんですけど、誰にも応えられず、とにかく自分でも信じられないぐらいに泣いていましたから。人間、こんなに涙が出るんだなっていうぐらいに。それだけ、悔しさが僕はあったので。サポーターの人たちにも日本一を味わわせてあげたかったし、それをホームの等々力で実現できたのがまた良かった。それまでの決定戦は全部アウェイや中立地だったので、優勝のかかるゲームが初めて等々力だったので、もう、あれ以上の喜びはない。瞬間最大風速は、自分のサッカー人生でマックスでした。

「サッカー選手で一番大事なのは前を向くことだと思っている」(中村)

2人のトーク中場面

中西:そこからは毎年タイトル争いをして、タイトルを獲っていくわけですが、僕もクラブ内の人間ですし、様々な選手といつもコミュニケーションをとっているのですが、つねに出てくるのは「憲剛さんからこう言われています」とか「憲剛さんに習いました」という言葉です。日本代表のボランチはフロンターレからポルトガルのクラブへ移籍した守田英正選手で、U-24日本代表のボランチはアカデミーからトップへ昇格した田中碧選手で。彼らにはどんな話をしてきたのですか?

中村:まずは彼らが良くなってほしいということと、そのとき僕はトップ下だったので、ボランチの選手がスムーズに動いてくれないと困るんですよ。最初のうちは正直、ストレスが溜まりました。僕は2004年にトップ下からボランチへコンバートされたのですが、FW(フォワード)のジュニーニョに「ボランチは前を向いて前へ入れろ」と言われ続けて、自分のなかではそれが染みついていて。またトップ下でプレーするとなったときに、ジュニーニョの言っていたことがすごく分かったんです。ボランチの選手が前を向けるのに向かない、このストレスがすごくて。守田英正選手もそうだし、田中碧選手も、大島僚太選手も最初はそうでしたけど、じゃあ何で前を向けないのか、どうしてスムーズに前へパスを出せないのか、というところから話をして。

中西:なるほど。

中村:そうなると立ち位置のところですね。ポジショニング。ボランチの彼らは、基本的に相手のDF(ディフェンス)ラインの前にポジションを取る。相手がビルドアップを阻害してくるときに、どこに立ったらボールを受けられて、そこで前を向いてどうやったらボールを入れられるか。そこからです。

中西:まず、受けること。

中村:で、各々できることとできないことが違うので、練習や試合をやっているなかで、できていることとできていないことを僕もちゃんと見て、試合後のビデオとかも観て、こうやったらいいんじゃないかというのをその都度、彼らがやれることができたときに、もうちょっと先のことを話すんです。できたときに。

中西:うまくいったときに。

中村:そうです。あまりに上の話をするとパンクしてしまう。そもそも若い選手なので、あれもこれも言うとパンクしてしまう。なので、ちょっとずつ少しずつ色々なことを、段階を踏んで。で、達成したら少し背伸びをさせる。主に立ち位置のところと、横を向かないところと。

中西:横を向かない、というのは?

トーク中の中西哲生

中村:横を向いてパスを出さない、ということです。サッカー選手で一番大事なのは前を向くことだと思っているので、前を向くことで相手はディフェンスをする。それも例を出すんです。トップ下の選手をマークしていて、自分のプレッシャーが甘くて前を向かれるのと、そこまでプレッシャーにいっていないのに相手が前を向かなかったら、どっちが楽?と。

中西:よく分かります。

中村:楽なのは前を向かない選手で、あなたたちはそれだよって。

中西:逆の立場からアドバイスする。

中村:そうです。そうすると、やろうとするんです。しかも、どっちが楽なのか自分で答えを出しているわけなので、それは変えようねと。そういうところからです。

中西:少しずつ。

中村:少しずつです。

トーク中の中西哲生

(以下、後編へ続く)

テキスト:戸塚啓(スポーツライター)

Profile

中西哲生 Tetsuo Nakanishi

スポーツジャーナリスト/パーソナルコーチ。現役時代は名古屋グランパス、川崎フロンターレでプレイ。現在は日本サッカー協会参与、川崎フロンターレクラブ特命大使、出雲観光大使などを務める。TBS『サンデーモーニング』、テレビ朝日『Get Sports』のコメンテーター。TOKYO FM『TOKYO TEPPAN FRIDAY』ラジオパーソナリティ。サッカー選手のパーソナルコーチとしては、当時インテルに所属していた長友佑都を担当することから始まり、現在は永里優季、久保建英、中井卓大、斉藤光毅などを指導している。

中村憲剛 Kengo Nakamura

元プロサッカー選手。1980年10月31日生まれ。東京都出身。O型。

ミズノブランドアンバサダー、Frontale Relations Organizer(FRO)、JFAロールモデルコーチ、JFA Growth Strategist就任。

川崎フロンターレ 一筋18年。2020シーズン限りで現役を引退し、現在育成年代への指導や解説活動等を通じて、サッカー界の発展に精力を注ぐ。

府ロク少年団(東京都)[小金井市立小金井南小学校(東京都)] ─ 小金井市立小金井第二中学校(東京都) ─ 東京都立久留米高校(東京都) ─ 中央大学(東京都) ─ 川崎フロンターレ

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